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生きる戦い

 投稿者:布施院 定メール  投稿日:2009年 5月21日(木)03時18分46秒
  清水千恵子さんの名前で知っているぼくらのアスパラ子ちゃんの最後の戦いを見てきた友人たちはおそらくその勇敢な戦いぶりに戦慄を覚えるほどの感動を感じているのだと思います。 島田正吾の一人芝居、「白野弁十郎」は男の一人芝居だったですが、最後の死神との戦いには舞台で上で最後の死神との戦いに最後の生きる力を出し切る島田正吾の姿が重なって戦慄を覚えたことを思い出します(といってもテレビで予告編をみただけなのですが)。立派でした清水さん。 勇敢でした清水さん。 誰しもやがては迎えるそのときをあなたは残された者への感動をあたえるすばらしい生き方をしてみせてくれました。 やったね、清水さん。 すごいよ!

葬儀参列

 投稿者:デ・イーネ  投稿日:2009年 5月20日(水)19時40分17秒
  昨夜、本日と木村千恵子(清水)さんのご葬儀に参列致しました。ご自宅のある馬橋駅近くの葬祭場で執り行われました。
元気イッパイのアスパラ嬢の存在は多くの方々の心に印象的だったと思います。夏を思わせるようなスッキりと晴れ上がった今日、ご家族・友人に見守られ、静かに穏やかに旅立ちました。癌の告知を受け、それでも強く逞しく精一杯病気と向き合い、立派に戦う姿を見せてくれました。私達と会う時は笑顔でいた貴女。信じられず、受け入れられずにいる自分。何んと皆様に報告すれば良いか・・・、こんなでは、チイちゃんに叱られてしまいそう。
安らかな気持ちで心から追悼と感謝を伝えたい。ご冥福を祈ります。
皆でお墓参りに行きましょう。    合掌
 

ご冥福をお祈り申しあげます

 投稿者:高橋 桂子メール  投稿日:2009年 5月18日(月)15時50分28秒
  とうとう旅立って行かれてしまわれましたか。 頑張っていらっしゃるご様子を拝見していて、快方へ向かっていてくれれば・・と願っておりました。 彼女の明るい笑顔が忘れられません。たくさんの元気をいただきました。 ご冥福をお祈り申しあげます。

はじめて参加させていただきます。 よろしくお願いいたします。

http://members3.jcom.home.ne.jp/nyosui/

 

ご冥福をお祈りします

 投稿者:ジャカランダ  投稿日:2009年 5月18日(月)09時55分43秒
  知らせてくれてありがとうございます。頑張っていられると最後にお聞きしたのでもしや回復なさっているのかと思っておりました。彼女のちょっとBlackなユーモアを思い出して今もすくわれる時があります。苦労した人間ほど人を笑わせる才能があるといいます。彼女にも苦労があったのでしょうが忍の良いお友達にはげまされ今は天国。彼女に勇気と元気をいただきました。ご冥福をいのります。栄子

P.S. 会報は5月1日に届きました。ありがとうございます。改めて近況のお便りをします。
 

アスパラ子ちゃん浄土へ旅立つ

 投稿者:布施院メール  投稿日:2009年 5月18日(月)04時43分29秒
  仕事の関係でスイスのLucernに滞在中に入った3B課長からの電話は何か胸騒ぎのするものでした。 もしやとの思いが的中し、アスパラ子ちゃんが16日午後に天国に旅立ったことを知りました。 3B課長他計3名はお見舞いに向かうところで、この報に接したようでした。 自分が苦しくてつらいときでも他の人を元気づけてくれたアスパラ子ちゃん。 ねんねだったぼくらよりもずっとおませだった彼女は時間的にはすこし短かったかも知れないけれど密度の濃い人生を送られたのだと思います。 だからけっして損はしていないどころか、しっかりと世継を作り、孫の顔も見て、人様の何倍も多くのかわいそうな猫の面倒も見て、これだけ功徳を積んだ人生でしたから、そのまま浄土へ直行し、幸せな次の人生を送ることを約束されているのだと思います。 そういえば、いつか彼女の顔がどこかの観音様のお顔ににていたことに気が付いたことを思い出しました。 そんなことをいったらまたいつもの彼女の声でしかられそうな気がしますが、そんなアスパラ子ちゃんがいなくなったこの世はちょっとさびしくなりますが、きっとかの地で先にいっている足長族の酋長とか楠山先生などとおもしろ談義をしていることでしょう。 この世の痛みや苦しみからは解放されて、思う存分アスパラ子節をぶちまけてください。  

会報75号発送しました。

 投稿者:デ・イーネ  投稿日:2009年 4月28日(火)08時48分56秒
編集済
  同窓会の会報「鶯溪」を26日発送致しました。まず題字は同期の小松喜久江さんの作品です。前号は山田君の写真でバッチリ決まり、54期の多くの協力を得てできました。会員だよりには同期メンバーからの声も寄せられています。
次号から、鶯溪会財政の減少を助ける為、広告欄の作成を目論見ました。掲載希望の方は今から頭の隅っコに入れておいて下さい。二年半後には過去61〜80号(10年)分の会報を纏めて総集版を作ります。ですからその時点でも広告募集があります。それまでに会報に広告を載せれば、自動的に再度掲載される事にもなるのです。ご自分の周辺で希望があれば考えてみて下さい。よろしくお願いします。
会報をじっくり読むと、忍の良さがジンワリ伝わる。90近い先輩から20代の後輩たちの様子が垣間見え、なかなか面白い。思い出だけでなく今日までの生き様が滲み出ている。同期の皆さんからのご寄稿を心より待っています。
 

お大事に

 投稿者:布施院 定メール  投稿日:2009年 4月 5日(日)13時07分1秒
  まー松久院様、ひどいことになっていたのですね。 じん帯とは痛いでしょうからおつらいですね。 私も数週前の寒い朝に急にダッシュして太ももの肉離れを起こしてしまい、公園を片足引きづりつつバイクまで戻り、うなりながら家まで戻りました。先週の寒い朝に同じところをまた切ってしまい、痛いの痛くないのって、痛かったです。やっとちゃんとあるけるようになっとところです。 さて、桜も無事満開。 お花見もないままに終わりそうです。 でも、最近起きぬけの早朝にバイクで向かう柏の葉公園は見事な桜で、その下を軽くジョギングで走り抜けるイメージをもちつつ片足を引きずりながら歩いております。  

お見舞い有難うございます。

 投稿者:まー松久院  投稿日:2009年 4月 3日(金)00時26分23秒
  クール子さん、布施院さん、お元気で何よりです。私も足が治ったら、何かに挑戦したいです。なにしろ、お恥ずかしい事に、ちょっと転んだだけで、じん帯を痛め、もう約3カ月です。いまだに、接骨院で、リハビリです。歳をつくづく感じてます。気持ちだけは、負けないつもりでしたが、足がうごきません。でも、私の事だから、きっと、何か始める事と思います。立候補したときは、どうぞ、清き1票をお願いします。では、また。  

こんな不況は不況じゃない!

 投稿者:布施院メール  投稿日:2009年 3月21日(土)21時43分53秒
  たしかにクール子様のおっしゃるとおり、われわれ戦後のどさくさの余韻というか、戦中派の愚痴というか、そんな厳しい時代が過ぎてきて世に生れし世代なれど、その戦前・戦中・戦後の雰囲気をしっかりと感じ取って生きてきた世代でもあるのだと思います。 なんだか、そんな戦前・戦中・戦後の世相を一方では感じながら、背伸びしてもっと明るくて自由な世界を夢見た世代といってもいいのでしょうか? ですから、こんな不況は不況とは言えません! 戦後の、朝鮮動乱前後の、縁日のいい加減な物売りや、詐欺師が横行した時代からみれば、いまのほうがまだよっぽとましです。 もっとも、詐欺師やいい加減な物売りが相変わらず闊歩していることは嘆かわしいことですが。
で、クール子さんの後半の文章が気になるというか、僕もそう思うということをいいたいんですが、もう、いい加減歳なんだから、さぁ、使おう、さぁ、生き急ごう、さぁ、何でやろう! という気分はいいですね! 今、やらないで、いつやる?! なにをもたもたしているのだ?! お迎えが来る日までうじうじしているのか?! 今やわれわれは突撃を敢行すべき時を迎えているのではないでしょうか?! 生きているうちにできることをいましてしまいましょう! なんつったって、今の若いもんにゃ負けねぇ!という気分がいい。 これが足腰立たなくなってからいったんじゃ、迫力に欠けます。 足腰がしっかりしているうちにこれを言い放つ。 そして、やりたいことをやっちゃう! みんな、がんばろう!
 

ポカポカ陽気・・

 投稿者:デ・イーネ  投稿日:2009年 3月18日(水)08時18分20秒
  昨日ぽかぽか陽気に誘われ、マイチャリに乗り、ケガをしたと聞いていた横山女史の陣中見舞いに行きました。実際近くにいるのが判っていてもナカナカ行けずにいたのですが・・・
足を傷めて大分たち、正座が出来ないっという状態まで、復帰されていました。観音様を挟んで住まいする近さにいながら、ポカポカの春風にのった暢気な訪問も、お仕事しながら暖かく迎えてくれました。こんな経済・政治情勢の中、団塊の世代皆で力出せば何か変えられるかもネ。皆様元気出しましょう。しのぶーフアイト・・・・